この「立場を取る」というのを、少々堅苦しく感じられた方もいらっしゃるかもしれません。
そこで今日は、補足も兼ねてお話を続けましょう。
「立場を取る」というのは、ただ「立場を取る」だけ、です。
「腹をくくる」とか「覚悟を決める」という重々しさはありません。
「やる!」とか「する!」という、気負いもありません。
もちろん「やれ!」とか「しろ!」と命令されるものでもなく、ましてや「やらねばならない」「せねばならない」という義務や強迫観念もありません。
「立場を取る」というのは、もっと軽やかなものです(^_^)
ただ「立場を取る」だけ、です。
コミュニケーションの中のコーチングのセンスとして重要なものに、相手の話を「ただ受け取る」というのがあります。
相手の話をただ受け取る、とは、話の裏を読んだり、勝手に頭の中で修飾しながら聴くのではなく、もちろん自分の意見を差し挟むこともなく、ただ、シンプルに、素直に、受け取る。
「受け取る」についてのお話は、機会があればまたさせていただきますが、本日のテーマは、この「ただ」のセンス。
当院で出産された初産婦さんで、こういうエピソードがあります。
陣痛があって入院された時に、私は「お産は落ち着いてやれば大丈夫だから」とお話しました。
そして実際、すごく落ち着いてお産を終えられたお母さんに、私から「よく落ち着いてお産できましたね」とお声をかけたところ、その方は
「入院した時に、先生から『落ち着いてやれば大丈夫』と言われて、そうか、落ち着いてやれば大丈夫なんだ、と思って、落ち着いてやってみました。そうしたら大丈夫でした。ありがとうございました。」
と言われました。
この会話の中には、ほとんど「落ち着いて」と「大丈夫」しか出てきません。
いたってシンプルです。
この方は、私の話を、ただ受け取り、ただ実践しただけです。
もしもそうでなくて、「陣痛があるから落ち着ける訳ないじゃないですか!」とか「それができるなら苦労はしません!」などと言ったり思ったりしていたら、落ち着いて満足のいくお産はできなかったことでしょう。
この「ただ」のセンス。
すごいと思いませんか? かなりパワフルでしょう。
お産するお母さんからすると、例えば
お産を「ただ」落ち着いてやってみる
楽しんでみる
笑顔でやってみる
遊んでみる
幸せに感じる
喜ぶ
頭で考え過ぎずに、心で感じながら、「ただ」立場を取り、やってみてください。
この「ただ」というのは、無駄をそぎ落とし、シンプルに生きる「禅」の考え方と同じですね。
次回もお楽しみに(*^^*)