フジハラレディースクリニックは、生命が誕生する場所でありますが、本日は、生命が終わってしまったことを書かせていただく、その失礼をお許しください。
当院で副院長をしておりました、父藤原俊彦が1月21日に亡くなり、24日にお通夜、25日に葬儀告別式、26日に初七日法要を無事に済ませました。
あらためまして、生前のご厚情を深く感謝申し上げます。
また、お忙しい中、お寒い中、お通夜、葬儀告別式にご会葬いただきました皆様、本当にありがとうございました。
ご香典、お花、弔電など、ご丁重なるご弔意に、心より厚く御礼申し上げます。
私自身、通常の仕事をしながら喪主を務めましたが、弟規生を中心に、家族に私の至らないところをきっちり補ってもらい、立派な葬儀ができて、ほっと一安心しているところです。
お通夜や告別式のご挨拶でも申しましたが、父は亡くなった後、とても綺麗な死に顔でした。
人間は、生まれて、生きて、そして必ず、死にます。
言ってみれば、人生の終わりは「死ぬ」訳ですから、「生まれる」は「死ぬ」の始まりと言えます。
人生の最後を迎える時に、ああいい人生だったなあ、と思える人生の終わり方は最高だと思います。
人間いつ死ぬかはわかりません。
重い病気があって余命宣告されていても、それよりもまだまだ長く生きることもありましょうし、普通に元気だったのに、急に事故や災害などで、不慮の死を遂げることもありましょう。
いつ死ぬかわからないから、いい人生だったと思えるように、死に様よく死ぬ、ためには、生き様よく生きること、「今ここ」を精一杯生きること、父の綺麗な死に顔は、それを教えてくれているような気がしました。
父は一昨年の12月から広島赤十字病院に入院し、後に吉島病院に転院して、入院生活を続けておりました。
父の病気の内容の説明は割愛しますが、入院したその日から、私の母は毎日毎日、暑い日も寒い日も、雨の日も風の日も、一日も欠かさず父のお見舞いに行っておりました。
母の父に対する献身的な愛があったからこそ、入院してから一年以上も長く生きられたように思いますし、思い残すこともなく綺麗な死に顔で人生を終えられたように思います。
音楽家である私の弟は、多くの仕事を置いて東京から広島まで駆け付け、医師の私の目から見たら、もう諦めざるを得ないんじゃないかと思われるような父に対して、最後の最後まで一生懸命マッサージしたり、足ツボを押したりしていました。
父にそっくりの顔の妹は、神奈川県から駆け付け、他愛もない話を最後の最後まで一生懸命父にしておりました。
そうすると、意識がもうほとんどないような父の体が反応して、目を開けて、目が動いたり、下がっていた心拍数や血圧が上昇したりしておりました。
最後の最後でも、家族からの言葉や心だけは通じてもおかしくないだろうと、何となく思われるでしょうが、人間は皆普段の生活もその積み重ねで生きている訳ですし、私たちが行っている医療もその積み重ねで行っております。
私は医師であり、医師も科学者の端くれではありますが、科学的なデータのように目に見える物よりも、愛とか心とか言葉とか笑いとか温もりとか、目に見えない物の方がはるかに大事であると思っています。
母や弟や妹の対応に反応する父を見て、「医療は心だぞ」ということを父はあらためて、身をもって教えてくれているような気がしました。
父は1月21日に亡くなりましたが、その前に私は毎日父の見舞いに行こうとしましたが、14日から20日までの一週間、連日で合計11人の赤ちゃんが生まれるほどの誕生ラッシュで、ほとんど病院に行けませんでした。
私は以前「生まれる命に、死にゆく命。お医者様はそれに寄り添う命。」という言葉を、ある方から教えていただいたことがあります。
もう終わりが近づいている父に会いに行こうとしても、なかなか行けない。
これは
「お前の仕事は死にゆく命に立ち会うことじゃないぞ。」
「生まれる命に寄り添うこと、立ち会うこと、これがお前の使命だぞ。」
という父からの無言の教えだったように感じました。
父が亡くなった後は、22日に分娩が二件あり、23日に骨盤位の経腟分娩が一件あり、24日に予定していた帝王切開が一件あり、24日の夜にお通夜を終え、24日から25日にかけての深夜に分娩が二件あり、25日午前から葬儀告別式を執り行い、26日に分娩が一件あり、26日の夕方に初七日法要を終えました。
その間も通常通りの外来診療を行い、27日には午前外来と分娩一件があり、夕方には私自身の病気のフォローとしての病院受診が無事済みました。
すべて滞りなく終えられたのも、父が守ってくれて、うまく取り計らってくれたのかなぁと思いました。
人間は、死ぬ時は二度ある、と言います。
一度目の死は、心臓が止まって肉体が滅びてしまう時。
二度目の死は、人々の記憶から完全に消えてなくなる時。
そういう意味では、父は永遠に私の中で生き続けます。
心なしか、死んでからの方が、かえって、私の中でより生きてくれているような気もいたします。
父がつけてくれた「紹生」の名前のように、生命を紹介して、命を受け継いで。
心新たに、
『いいお産を日本中に広め、日本を幸せに元気にする!』
その使命を胸に、力強く生きていこうと思います。
今後とも、ご指導ご鞭撻を賜りますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
医療法人つぐお会 フジハラレディースクリニック
理事長・院長 藤原紹生
先日、妊婦健診の時に、ある妊婦さんからお話をうかがいました。
その妊婦さんのお知り合いの方が、昨年フジハラレディースクリニックで出産されたそうです。
その方は、次のお産も絶対にまたフジハラで産みたい、と仰っていたそうです。
有難いことです(*^^*)
そしてもう一言。
「フジハラ先生はね。一緒にお産してくれるよ!」
と言われたそうです。
フジハラレディースクリニックを開院以来、今までに3800人以上の赤ちゃんが生まれています。
私は、お産一件一件に対して、すべて真剣に向き合ってきました。
これからもその姿勢は変わることはありません。
私から、妊婦さんに向かって「一緒にお産する」という言葉を用いたことは一度もありませんが、どの人に対しても、いつもそういう気持ちでおつきあいしてきました。
ですから、「一緒にお産してくれる」と受け取ってもらえてるんだなあ、と思うと、涙が出そうになるくらい、大変嬉しく、有難く思いました。
あったかい気持ちにもなれました。
産む主役はお母さん、生まれる主役は赤ちゃん、応援する主役はご家族、サポートする主役は産科医と助産師・看護師です。
「一緒にお産してくれる」
一生懸命サポートしている私たちからすると、この言葉は最高の誉め言葉です。
その気持ちを胸に、これからも全力でサポートしていきます。
いいお産を日本中に広め、日本を幸せに元気にしていきます!
これからもどうぞよろしくお願いいたします。