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ブログ Page 12|広島市安佐南の産婦人科 フジハラレディースクリニック

TEL 082-850-1815

「あの苦しい陣痛を乗り越えたからこそ、わが子に会えた時の喜びがあるんですよね」
出産したお母さんの、こういう言葉は時々耳にしますよね。
例えば、
普段あまり運動しない人が、周囲から誘いを受けて断れず、ノリ気もなく嫌嫌マラソン大会に参加して、途中で何度棄権してやろうかと思うほど辛かったけど、それでも何とか完走し終えた時があったとしたら。
参加しなければ味わえなかった、爽快感と充実感と満足感を感じたりします。
確かに、これも苦しい時を乗り越えたからこその喜びと言えるでしょう。
人間誰でも、苦しい経験の先に幸せがあったり、苦労して頑張った先に成功があったり、そういうことはありますよね。
「産みの苦しみ」という言葉があります。
辞書を引くと、①出産のときの苦しみ。陣痛。②物を作り出したり、はじめて物事を始めるときの苦しみ。とあります。
これらを眺めていくと、苦しい先に喜びや成功がある、という単純ストーリーだけではなく。
「苦しい経験がなければ、幸せになってはいけない」
「苦労して頑張らなければ、成功するはずがない」
つまり、「幸せや成功の前に、必ず苦しさや苦労ありき」というパラダイム(価値観の枠組み)があるような気がします。
「良薬口に苦し」のように、苦く感じるような薬こそが良い薬で、それを飲まなければ、体は良くならないんだ、というパラダイム。
お産に関して言えば、苦しい陣痛を乗り越えたからこそ、赤ちゃんに出会えた時の喜びもまた格別にある、と思える人は、それはそれでまだいいと思うのですが。
そうではなくて、辛く苦しいお産をしたことで、産後うつになったり、もう二度と産みたくない!という気持ちになってしまう人もいます。
そう考えると、やっぱり、お産は楽しい!お産は楽しめるもの!楽しむべきもの!という感覚で捉えてもらった方が断然いいですよね。
斎藤一人さんの言葉で
「楽しいから成功するんで 成功したから楽しいんじゃないんですよ」
というものがあります。
聖書では、アダムとイヴが禁断の果実を食べてしまう罪を犯したことにより、罰として、男には労働の苦役、女には出産の苦しみがもたらされるようになった、とされています。
労働を英訳するとlabor、陣痛も英訳するとlaborとなります。
キリスト教圏の人々からすると、「労働」「仕事」は「苦役」ですが、日本人からすると、苦しい時もありますが、それは「苦役」ではなくて、「生きがい」や「やりがい」、または「喜び」であることの方が多いと思います。
日本人にとっての出産、陣痛はどうでしょうか?
「出産」「陣痛」を罰と考えるか?「苦役」「苦しみ」と考えるか?
それとも?
当院で笑顔の『つぐお式出産』をされた方々は、「陣痛が来ている間、これを経験できるのも幸せなことだなあ、と感じました。」と、よく言われます。
「苦しい陣痛の先に、赤ちゃんに会える喜びがある」そう思って、陣痛に耐えながら出産するよりも、「陣痛を経験できて幸せ?」と思ってやってみる方が、お産も楽チンで楽しめますよ。
「痛い!」と思えば「痛いお産」。「楽しい!」と思うと「楽しいお産」。
妊娠中も、陣痛がある時も、赤ちゃんが生まれる時も、欲張って全部楽しみましょう!
これからの時代は、「産みの苦しみ」ではなくて、「産みの楽しみ」ですよ~\(^o^)/
今日もおつきあいありがとうございました(*^^*)

2017.04.27  コーチング

「お産は怖い」
出産の経験がある人も、ない人も、世の中の多くの人がこのように思っていることでしょう。
今日は、岸英光さんのご著書『働く男子(ひと)のルール』『悩んでばかりの自分から抜け出す方法』から、引用しながらお話を進めましょう。
人は皆、「怖いからできない」で動けなくなってしまうことが多いです。
『悩んでばかりの自分から抜け出す方法』には、ジェットコースターを待つお母さんと男の子の会話のエピソードが掲載されています。
気乗りしないお母さんに比べて、お子さんはすごく楽しみにしている様子。
それが、乗る順番が近づいてきたら、ジェットコースターから降りてきた人の様子を見て、お子さんは急に怖気づいて黙って尻込みしてしまいました。
その時、お母さんの対応として考えられるパターンとしては、
①「大丈夫だから!!」「怖くない!怖くない!!」「お母さんがついてるでしょう!?」と説得に入る。(ほとんど説得力ゼロですが。。)
②「せっかくこんなに並んだんだから」「入場券が無駄になっちゃうでしょう!」と言い聞かせる。(投下した資本は回収しないと許さないという経済観念か?)
③「あんたが乗るって言ったんでしょう!」と言い聞かせる。(言い出しっぺは誰だ!って感じ。。)
④「しょうがないわねえ、じゃあ乗るのやめようか。」(現実回避)
この4つぐらいが順当です。
しかし、そのお母さんはお子さんに向かって、そのどれもやらず、「あれ?どうしたの?」とオープン・クエスチョン(開かれた質問)で質問しました。
するとお子さんは「うん、怖いの!」と言いました。
お母さんは「ああ、怖いんだぁ。でも、それだけ?」と再度質問すると、お子さんは「うん、それだけ!」と答えました。
それを受けてお母さんは「そう。でも大丈夫よ、怖いだけだから!」と言ったのです。
お母さんのこの最後の一言は何の説得にもなっていませんが、結局お子さんは怖いままジェットコースターに乗った(行動を起こした)のです。
乗り終えた後、わんわん泣いているお子さんに対してのお母さんの台詞は「どうだった?」と、またもオープン・クエスチョン。
それに対してお子さんは、「うん、怖いだけだった!」と答えました。
『働く男子のルール』では、岸さんは次のように述べられています。
僕らは小さい頃からよく親に言われてきたね。
「怖くないから、やってごらん」
実はこの言葉かけが、人の中で「怖いかどうか」と「やるかどうか」「やれるかどうか」を結びつけてしまった。
「怖くてもできること」はたくさんあって、「怖くなくてもできないこと」も山ほどある。
だから、「怖いかどうか」と「やるかどうか」や「やれるかどうか」は全く関係ないことなのに、分けられなくなって動けなくなっている人が少なくない。
『悩んでばかりの自分から抜け出す方法』では、次のように書かれています。
ジェットコースターの例で見ると、「怖い」というのは、「感情」です。「感情」は、あくまで自分に起きている反応、1つの出来事です。
一方で、「乗る」かどうかは自由な意思です。「怖いから乗らない」ことも、「怖いけど乗る」こともできます。
つまり、気持ちに従うかどうかを決められる部分が意志であり、自分です。
「感情」=「意思」ではないのです。
「不安」な気持ちをどうしてよいかわからない方の多くは、自分を大切にするあまり、自分の「不安」な感情すら大切にしようとする人もいます。
でも、そればかり見つめていては、なかなか動けません。
「不安」はただの心の反応。不安な気持ちと、自分の行動は別にしてよいのです。
とは言え、無理に頑張ると、今度は気持ちの方が折れたり、より不安が大きくなってしまったりします。
だから、「不安、だからやめる」「不安、でもやる」ではなく。
「不安、そして、やる」
こんな考え方が、不安と上手につきあう秘訣です。
フジハラレディースクリニックに来られる妊婦さんもいろんな方がおられます。
中には、元々相当ビビリな方もいます。
それでも、皆さん結構お産を楽しんで満足しておられますよ。
「私はビビリ、だからお産はやめる」ということはできませんし。
そういう時は、「私はビビリ、でもお産をやる」よりも、「私はビビリ、そして、お産をやる」のように、「分別」したり、「横に置く」方が楽にできちゃうでしょうね。
だから、お産が怖くても大丈夫なんですよ。
だって、怖いだけですから。
「怖い」と「いいお産をする」「お産を楽しむ」のは、別のことです。
怖くっても、めっちゃ笑顔のお産は必ずできます。顔晴りましょう\(^o^)/
次回もお楽しみに♪

2017.04.23  コーチング

広島のフジハラレディースクリニックからいいお産を日本中に広め、日本を幸せに元気にする!
このようにコミットメントしている私は、「お産は怖くて痛くて辛いもの」というパラダイム(価値観の枠組み)をシフトさせ、「お産は楽しくて幸せで満足できるもの」と感じていただけるような活動をしています。
お産を経験している人が言われるのなら、まあまあまだしも。
お産を一回もしたことない人でも「お産は怖い!」「お産は痛い!」と思っている人が多いです。
多い、と言うよりも、ほぼ定説となっていますね。
しかしながら、一回も経験したこともないのに、そう思っている、そう思い込んでいる、というのは不思議なことですね。
例えば、補助なし自転車に生まれて初めて乗って、最初からスイスイ乗れる人はいませんね。
何回も転んだりしながら、平衡バランスのとり方、ペダルを漕ぐ強さ、スピードなど、体験しながら、自分なりの補助なし自転車の運転の仕方を獲得していくものです。
そう。人間は体験しなければ何も得られないのです。
やってみて、味わって、そこを通り抜けなければ、到達できないのです。
しかし、そこを体験する前から、悪いイメージを先行させ逃避していては、何も始まらないし、行きたいところに到達することはできません。
お産も同じです。
とは言え、自転車のように転びながらでも毎日練習することはできませんが。
「お産は怖い!」「お産は痛い!」というイメージばかりが頭の中を占めていて、そのためにそこに居留まり前に進めないのはもったいないことです。
コーチングのセンスの中に、「横に置く」というセンスがあります。
やってもいないのに、やる前から、「お産は怖い!」「お産は痛い!」と思い込んでいるのはおかしなことですが、それでも百歩譲って、思っていてもいいから、その思いは一旦「横に置いて」前に進みましょう。
お産は怖い!痛い!という先入観のみに縛られているから、その先の楽しさや幸せに到達できないのです。
言い換えると、お産を経験して、痛くて怖くて辛かった人は、やる前からそう思っているから、結果的にもそうなっている、ということです。
ということは、最初からそう思っていない方が結果的にもいい、ということになります。
思っている人に、思うな!とは言えませんが、せめて、思っていてもいいから、横に置いておいて前に進もうよ~!と言うぐらいはできるのではないでしょうか。
「横に置く」というのは、「横に置く」だけなので、逃避ではありません。
ちょっとしたセンスなようですが、うまく使いこなせると、すごく効果的です。
覚えておいてくださいね。
次回もお楽しみに(*^^*)

2017.04.20  コーチング

私は、『いいお産のための3つのアドバイス』のうちの1つとして、『許可』を挙げています。
「許可」って何?とお思いでしょうが、これがすごく大事なのです。
「お産は怖くて痛くて辛いもの」「お産はわあわあぎゃあぎゃあ痛い痛いと言いながらするもの」と思っていたら、必ずそういうお産になります。
これが、お産に対する『パラダイム』(価値観の枠組み)です。
いやいやそうじゃない、やり様によってはお産も楽しめたり、ワ~いいお産できた~!というお産ができるはず!と思っていたら、できちゃうんです。
なぜ?? だってそう思ってるから。ちゃんと思った通りになるんです。
コインの裏表と同じで、見ようとしている景色に必ずなります。
でもそれを邪魔するものがあります。
それは何? それは自分の脳です。
例えば、「前違う病院でお産したらそんな感じじゃなかったし」とか「友達に聞いてもお産は痛かった辛かったばっかり言うし」とか「誰かのブログにも『もう二度と産みたくない!』って書いてあったし」とか「テレビドラマのコウノドリ観てたら大変そうだったし」とか、全部自分の脳が邪魔しちゃうんです。
これは洗脳されているだけです。
その洗脳をはずしてあげないといけないので。
自分に向かって、自分の脳に向かって
「いいお産していいよ」「お産楽しんでいいよ」
と『許可』を出してほしいのです。
コーチングの中では、『許可』は、ものすごくパワフルなセンスだと思います。
岸英光さんが主催されるコミュニケーショントレーニングネットワーク(CTN)のホームページの動画の中で、岸さんは「パラダイムシフト」についてこういうことを言われています。
相手が「自分」というパラダイムを越える形で考察できる、コーチとしての投げかけ方を「発明」した
こういうことが言える、ってすごいと思いませんか?
「発明」って、エジソンか、ドクター中松じゃないと、しちゃいけないと思っていませんか?
実は、私そう思っていました。
でも、この動画を観た時「そうか。私も発明していいんだ。」そう思えたのです。
いいお産を私が発明していいんだ。
私がいいお産を作って広めていっていいんだ。
そうすることにより私が日本を幸せに元気にしていってもいいんだ。
私がそれをコミットメントとして声高らかに宣言してもいいんだ。
こう考えると、『許可』ってすごくパワフルだと思いませんか?
自分の可能性にストップをかけているのは、自分です。
他の誰も邪魔してはいません。
私は、自分に許可を出したことにより、軽やかに、パワフルに、より自分らしく生きています。
「いいお産していいよ」「お産楽しんでいいよ」
皆さんも、自分に『許可』を出してみましょう\(^o^)/
次回も、どうぞお楽しみに(^^♪

2017.04.03  コーチング

妊娠の初期に、産婦人科の先生から
「下腹痛や出血があったら絶対に安静にしてください!」
「変わった症状があったらすぐに受診してください!」
など言われたことがある方も多いのではないでしょうか?
病院ではよく言われますよね。
実は、私はそのようなことは全く言っておりません。
なぜならば、妊娠の初期に、「安静にするかどうか」や「すぐに受診したかどうか」ということと、「流産するかどうか」は基本的に無関係だからです。
ちゃんと妊娠が継続され生まれてくれるかどうか、流産してしまうか、は大体のケースにおいて、赤ちゃん側の理由で決まるもので、それは既にお母さんの子宮に宿る前から決まっているものです。
妊娠された方も、私たち産科医も、その後の経過を見て、その結果からしか実際の状態を知ることはできません。
よく、重たい物を持ったり、激しいスポーツをしたり、重労働したり、転んだり、雨に打たれたりしたら、流産してしまう、と信じている方もおられますが。
それはテレビドラマの中だけのお話で、現実にはそういうことはありません。
妊娠としてちゃんと持ってくれて生まれてくれるか、流産してしまうか、それは既に最初から決まっているものです。
それを産科医が
「何かあったら安静にして!」とか「何かあったらすぐ受診して!」と言うことにより
うまくいっている時には何も思わないことですが、流産してしまった時には、
「安静にしていなかった自分がいけないんだ」とか「すぐ受診しなかった自分のせいなんだ」などと、
本来「安静」「すぐ受診」と「流産」は無関係であるため、きちんと『分別(ふんべつ)』できることなのに
「流産したのは自分のせいなんだ」という、自分を責める、間違った認識のみが残ってしまいます。
これは非常に良くないことです。
前に、産科医や産科スタッフの一言で、悪い「パラダイム」を与える、という話をしましたが、私たち産科医療者は慎重に言葉を選ばなければなりません。
私は、実際の現場で具体的にどのように言っているかと申しますと。
妊娠した人がやったことと、流産するかどうか、は基本的に関係ありません。
普通通りの生活を過ごして結構です。
妊娠して流産せずに順調に経過する人のうちの90%の人は初期に出血します。
この90%には、出血が少量すぎてそれに気がつかない人も含まれます。
妊娠初期は、何かあった時に早く受診したかどうかで結果は変わりません。
結果が変わらないことは知った上で気になる症状がある時は、慌てずに早めに外来受診をしてみてください。
妊娠中期~後期は、出血や腹痛があった場合には、早めに連絡してください。
などなど言っております。
残念なことに、流産される方はおられます。
一般的には、妊娠の4回に1回は流産する確率を誰でも持っている、と言われます。
流産された方には
赤ちゃんがちゃんと育って生まれるか、流産するかは最初から決まっています。
流産したら赤ちゃんの肉体はなくなってしまうけど、魂は天に帰ります。
流産した後の妊娠で生まれた赤ちゃんが、「前ダメだったのは僕だったんだよ。前はお空に帰ることが最初から決まっていて、それでお父さんやお母さんが悲しむのもわかってたけど、どうしてもお父さんお母さんのところに一度行ってみたくて来たんだ。来てみたら、お父さんお母さんがすごく優しかったから、今度はちゃんと生まれるつもりで来たんだよ。」と言ってくれることもあります。
お母さんがあまり悲しんでばかりいると、お空から覗いてて、次に来たがっている赤ちゃんが来づらくなっちゃうから、思いっきり泣いた後は、綺麗さっぱり。
天に向かって「ネクスト・プリーズ!カモン!ベイビー!」と言いましょう。
「今度来たら、思いっきり可愛がってあげるから、ちゃんと来いよな!」と言ってあげましょう。
きっとあなたたちご夫婦のもとにまたやって来てくれると思いますよ。
さあ、笑って帰りましょう!
などなど、お話しています。
流産された方も、笑って帰って行かれます(*^^*)
最後には私から「また是非お会いしましょう!」と伝えると、「必ずまた来ます!」と笑って返されます。
流産された方は、自分を責めたり、絶望的な気持ちになられる方もおられると思いますが、妊娠出産についてのコーチである産科医や産科スタッフは、同情するのではなく、共感する気持ちを持ち、毅然として「立場を取って」正しくお話するべきと思います。
今日は、「流産」のことに関連して、『分別』『パラダイム』『立場を取る』というお話をしてみました。
次回もお楽しみに(^_^)

2017.03.30  コーチング

前回、妊婦さんにとってのコーチである産科医や助産師は
「赤ちゃんが大きいと、お産はきつくて大変」というパラダイム(価値観の枠組み)を与えるべきではない
というお話をいたしました。
コーチの言葉は重く、相手に対して先入観を与えたり、洗脳までしてしまうこともあるからです。
しかし、この話にピンと来ない方も多くおられることでしょう。
なぜなら、世の中の大多数の方々が「お産は怖くて痛くて辛いもの」と思っているからです。これは、もしかしたら、昔も今も、古今東西、万国共通に、ほぼ普遍的なものとして思われているかもしれません。
以前、笑顔の『つぐお式出産』の様子の映像を横浜市の産婦人科医池川クリニックの池川明先生に観てもらったことがあります。
池川先生からは
落ち着いていて穏やかなお産で、正直びっくりした。藤原先生のところのお産は紛れもなく、すごく素晴らしいお産だと思う。しかし、時代の先を行き過ぎていて、まだ世の中がそれに追いついていない。藤原先生のところのお産は確実にいいお産なんだけど、かなりの希少ケースであるために、今の世の中の常識からすると、‘異常なお産’の分類になってしまう。
と言われました。
ベテランの産科医でも驚かれる訳ですから、一般の大多数の方々が「お産は怖くて痛くて辛いもの」「落ち着いてできるはずがない」「楽しめるはずがない」と認識しているとしても、何ら不思議はありません。
池川先生は、私の本『世界で一番幸せなお産をしよう!』の帯を書いてくださっていますし、先生のご著書の『笑うお産』の中では、笑うお産を実践している産院として、私のことを紹介してくださっています。
さて、話を少し変えましょう。
あなたにお子さんがいて、明日お子さんにとっての大事な試験がある、または何かの競技の試合がある、としましょう。
その時あなたが
「緊張しちゃダメよ。緊張しないでやるのよ。」
と言ったとしましょう。
試験や試合の前日や当日、程度の差こそあれ、多少の緊張はするものです。
ガチガチの緊張がいいかどうかはわかりませんが、適度な緊張は案外あった方がいいのかもしれません。
しかし、「緊張しちゃダメよ。緊張しないでやるのよ。」と言われてしまうと、「緊張はダメ」⇒「緊張すると力が発揮できない」⇒「悪い結果になる」と連想してしまう、つまり悪いパラダイムを与えてしまうことになるのです。
つまり、親御さんのちょっとしたその一言のために、お子さんを悪い結果に導いてしまうこともあり得る、ということです。
パラダイムって簡単に作れてしまうものなんですね。
じゃあ、こういう時に声をかけるとしたら、何と言ったらいいのか?
試験や試合の前日にお子さんに向かって、「どう?」と聞いてみます。(ちなみに、こういう質問をオープン・クエスチョン(開かれた質問)と言います)
それに対して、お子さんが「緊張してる」とか「不安があるの」と言ったならば、
あなたは「そう。緊張してる(不安がある)の。それだけ?」と返し、
それに対してお子さんが「うん。それだけ。」と言ったとしましょう。
そうしたらあなたは「そう。じゃあ大丈夫よ。緊張してる(不安がある)だけだから。」
これでOKです。
え? これじゃあ何も説明になってないし、説得できてないじゃん。
とお思いのことでしょうが、そもそも説明したり説得したりする必要はないのです。
お子さんの感情を「ただ」「受け取って」あげるだけで十分なのです。
本来、「緊張や不安があること」と「力が発揮できるかどうか」「いい結果となるかどうか」は、別のことです。
このように、本当に「有る」ことと、一見存在していたり関連があるように見えているけど実際には「無い」ことに、整理して区分することを『分別(ふんべつ)』と言います。
私たちは、普段の生活の中で、実は無関係なことを頭の中で勝手に結びつけてしまって、がんじがらめになってしまい、そのために力が発揮できなかったり、結果が得られなくなっていることは、かなりあると思います。
話をお産の話に戻すと、「赤ちゃんが大きい」という事実は本当に「有る」こととしても、そのことと「お産がきつくて大変」というのは実際の関連は「無い」こと、なのです。
もしも頭の中で勝手にそれらを結びつけていたとしたら、本当は関係なくても、きつくて大変なお産になってしまうでしょうね。
この「分別」のセンス、パラダイムシフトするにはかなり有効なものです。
どうぞお試しくださいね。
次回もお楽しみに(*^^*)

2017.03.26  コーチング

先日ある妊婦さんから、こういう話をされました。
前回の他の病院でのお産がかなりしんどくて大変でした。
予定日を少し過ぎて、超音波検査上赤ちゃんの推定体重が3500-3600gだったので、
「赤ちゃんがこれ以上大きくなるとお産がきつくてしんどくなるから、陣痛促進剤を使って分娩誘発をして赤ちゃんを産むようにしてみますか?あなたが希望されなければしませんけど、どうしますか?」
と、主治医の先生から言われました。
それで、考えて希望して、誘発してもらって産んだんですけど、かなり大変で、今もそれがトラウマになっています。
というお話でした。
この会話、皆さんどう思われますか?
予定日が過ぎて、産婦人科の先生からこのような話をされることは時々あることだし、いたってありがちな妊婦さんと先生の会話じゃないか、とお思いでしょうか?
私もそう思います。
妊婦健診の最中に、こういう会話はありがちですよね。
しかもこの先生は、予定日を過ぎて赤ちゃんもそこそこ大きいので、いきなり帝王切開をしましょう、と言った訳でもなく、また、お母さん本人の希望も聞かず分娩誘発の予定を決定した、という訳でもないので、どちらか言うと、優しくて親切で紳士的な先生だな、という感じですよね。
しかし、同じようなケースの時に、私だったらどういう対応をするかと言うと、このような会話は全くしません。
産科学的には、赤ちゃんが生まれる正期産の日は、妊娠の37周0日から41週6日まで、です。ですから、予定日から約2週間後まで、生まれる正常範囲ということです。
医学的に、分娩にしなければならない理由が母体側もしくは胎児側に存在した時には、もちろんそのようにしなければいけないのですが、それがない限りは、赤ちゃんが生まれたい日を待ってあげるのがいいと思っています。
赤ちゃんにも意思があると思いますし、誕生日別の占いの本が成り立っているように、赤ちゃんが生まれる日が一日でも違えば、人生も変わるのではないかと思います。
私が思うには、赤ちゃんが生まれた日によって、人生が左右させられている訳ではなくて、そもそも赤ちゃんその人が、その人でなければならない使命や役割があって、それを果たしやすくするために、親であるお父さんお母さんを選び、家を選び、誕生日を選び、生まれてくるのではないかと。
使命や役割を果たしながら歩んでいくのが人生であり、赤ちゃんが選ぶ、親や家や誕生日は、その人の人生の選択であると思うのです。
実際、私のクリニックで生まれた一番大きな赤ちゃんは4500g台ですが、4500g台の赤ちゃんを産んだ3人のお母さんは、全員経腟分娩されています。
ということは、大きさだけで言えば、大概のケースでちゃんと経腟分娩できる、ということです。
経腟分娩できずに帝王切開になってしまった方もおられますが、赤ちゃんの大きさだけではない、産科学的または赤ちゃんの意思など医学的とはまた違う、何らかの理由があったのだと思われます。
話を今日の本題に戻しますね。
前のお産の時に、主治医の先生は「赤ちゃんがこれ以上大きくなるとお産がきつくてしんどくなる」と言ったのですが、はたしてそれは本当でしょうか?
例えば、分娩進行中の妊婦さんが、陣痛があるたびに、「ああこれは赤ちゃんが2800g程度のしんどさだなあ」とか「ああこのきつさは3400g並みのきつさだなあ」とか考えたり感じたりするでしょうか?
現実的には、そういうことはほとんどないと思います。
実は、この先生の言葉で一番重要で問題なことは「赤ちゃんが大きいとお産がきつい」というパラダイムを、先生自ら妊婦さんに与えてしまった、ということです。
「赤ちゃんがこれ以上大きくなると」と言ったということは、「赤ちゃんは今もそこそこ大きいんだ」という意味を含んでいます。
ですので、先生の一言は妊婦さんに「赤ちゃんが大きいとお産はきついんだ、大変なんだ」という先入観を与えます。洗脳と言ってもいいかもしれません。
先生には、そこまでの深い意味はなく、医師としての、普通の常識の中で、むしろ親切心もあって発された言葉であったと思いますが、出産するお母さんからとってみたら結果的にトラウマになるほどの「大変なお産」になってしまっていますので、言葉は慎重に用いなければなりませんね。
もちろん、大変なお産となったのは、先生の発言によるものだけとは言えませんので、先生だけが悪いとか、そういうつもりは全くありません。
しかしながら、産科医や助産師は、お産をされる妊婦さんのコーチであるべきで、コーチとはその相手が結果を創り出すことをサポートしなければいけませんので、そういう意味では不適切な発言であった可能性もあります。
産科医および産科医療スタッフは、その一言一言が、妊産婦さんに、悪いパラダイムを与えているかもしれない、ということまで配慮して、丁寧に対応をしていく必要がありますね。
次回は、今日のお話に続けて『分別(ふんべつ)』についてお話したいと思います。
どうぞお楽しみに(*^^*)

2017.03.23  コーチング

前回、出産するお母さんは「産むこと」に立場を取って、私たち産科医やスタッフは「サポートすること」に立場を取って、というお話をしました。
この「立場を取る」というのを、少々堅苦しく感じられた方もいらっしゃるかもしれません。
そこで今日は、補足も兼ねてお話を続けましょう。
「立場を取る」というのは、ただ「立場を取る」だけ、です。
「腹をくくる」とか「覚悟を決める」という重々しさはありません。
「やる!」とか「する!」という、気負いもありません。
もちろん「やれ!」とか「しろ!」と命令されるものでもなく、ましてや「やらねばならない」「せねばならない」という義務や強迫観念もありません。
「立場を取る」というのは、もっと軽やかなものです(^_^)
ただ「立場を取る」だけ、です。
コミュニケーションの中のコーチングのセンスとして重要なものに、相手の話を「ただ受け取る」というのがあります。
相手の話をただ受け取る、とは、話の裏を読んだり、勝手に頭の中で修飾しながら聴くのではなく、もちろん自分の意見を差し挟むこともなく、ただ、シンプルに、素直に、受け取る。
「受け取る」についてのお話は、機会があればまたさせていただきますが、本日のテーマは、この「ただ」のセンス。
当院で出産された初産婦さんで、こういうエピソードがあります。
陣痛があって入院された時に、私は「お産は落ち着いてやれば大丈夫だから」とお話しました。
そして実際、すごく落ち着いてお産を終えられたお母さんに、私から「よく落ち着いてお産できましたね」とお声をかけたところ、その方は
「入院した時に、先生から『落ち着いてやれば大丈夫』と言われて、そうか、落ち着いてやれば大丈夫なんだ、と思って、落ち着いてやってみました。そうしたら大丈夫でした。ありがとうございました。」
と言われました。
この会話の中には、ほとんど「落ち着いて」と「大丈夫」しか出てきません。
いたってシンプルです。
この方は、私の話を、ただ受け取り、ただ実践しただけです。
もしもそうでなくて、「陣痛があるから落ち着ける訳ないじゃないですか!」とか「それができるなら苦労はしません!」などと言ったり思ったりしていたら、落ち着いて満足のいくお産はできなかったことでしょう。
この「ただ」のセンス。
すごいと思いませんか? かなりパワフルでしょう。
お産するお母さんからすると、例えば
お産を「ただ」落ち着いてやってみる
楽しんでみる
笑顔でやってみる
遊んでみる
幸せに感じる
喜ぶ
頭で考え過ぎずに、心で感じながら、「ただ」立場を取り、やってみてください。
この「ただ」というのは、無駄をそぎ落とし、シンプルに生きる「禅」の考え方と同じですね。
次回もお楽しみに(*^^*)


 

2017.03.19  コーチング